最愛の父の足音がなくなってから、もう1年が経とうとしてる。
父が見れなかったものの時間は1年になった、このままたくさんの時間を過ごして、見れたものの時間を越していくのだろうか。当たっていたのにいけなかった展覧会、コンサート、ライブ、とか。そういう思い出としてあったはずのものも、思い出になれなかったものになって積み重なっていくんだろうか。
声はもう思い出せない。わたしをたくさんなでてくれたすこしかたい手も、その温かさも、顔すらも忘れてきてる。父はどういう表情でわたしを見ていたんだろう。日ごとに零れる水を止める方法が見つからないし、失ってしまった砂を集めるすべもなければ、助けを求めれる人もいない。
そのくせ匂いというやつはどうにも強くて、もう朧げにしか思い出せない父の、少しずつ片づけられ始めているその部屋だけはいつ入っても父の匂いがする。それだけが、父の時間なのかもしれなくて、実は扉を開けたら父がまたいてくれるかもしれなくて。いない寂しさといなくなる恐怖で、手伝う覚悟ができないままでいる。
あの日の後悔だけが、ずっとおなじすがたかたちをして、ずっとわたしのくびをしめてる。
いつか前に向けるようになったとき、後悔も思い出せなくなるんだろうか。なんて。それも少し寂しいと思うのは、どういう気持ちなんだろうか。
みんなは、あったかくして過ごしてね。わたしも、あったかくして過ごします。