いちごは飲み物

のんびり

誕生日だったので関係ない話も一つまみ

まあ概ね表題の通りでは、ある。

わたしは精神がおキッズのままおとまりあそばせているためいくつになっても誕生日ではしゃぐが、今年も例外ではない。家族からはパシりにされたり夕飯当番にされたりしたが、ケーキはふたつ買ってもらえたから、良い(当日にはイチゴのショートケーキを食べた。今日は夕飯の後にチョコケーキを食べる予定で、冷蔵庫で冷やしている。楽しみ)

 

 

 

 

 

一つまみ。この広い世界の、広いインターネットの海の中で、形成された狭いコミュニティのひとつで、わたしと生年月日が一致している友人がいる。お互い自分たちを双子と言い、誕生日の前日に通話を繋げ、当日になった瞬間ジャンプして地上にいなかった、などという傍から見たらすごく幼稚に見えるだろう行為を、楽しんで、そのあとに各々ソシャゲにログインして誕生日を祝ってもらう。ということを続けてかれこれ5、6年ほど経とうとしている。ありがたい話だ。

 

 

その際に、話題になった。偶然にも、わたしがゆるく見ていた配信者の旅立ちの日と、彼女が追って、最推しだと言っていたアイドルの引退の日が一緒だった。推していた熱量は彼女には敵わないし(当然ではある)、もちろんその悲しみも彼女のほうがより深くはあると思うが。元気をもらっていた人がいなくなった、という点ではわたしと彼女に対して差はない。と思う。たぶん。

 

先日のブログの通り、わたしはどうしてか、ぽかりと穴が開いたように、その人を構成する色が抜け落ちる、ということがたまにある。旅立ちを見送った人、全員、毎回ではないが、1年前に卒業した推している子の色は未だに戻ってきてない。かわいらしい、ピンクと水色のパステルが、そこに在った事実だけを残して、消えている。

対して彼女は、逆にその人を構成していたものが、目に留まりやすくなってしまうのだと言った。歌っていた曲の歌詞、所属していたグループでの色、その色をあらわす果物。彼女の推しをアイドルたらしめていた部分の、それらを。よりずっと、目に留まってしまうと。そう言っていた。

わたしたちは、お互いを双子だと言っている。それは生年月日が一番大きいと思うが、わたしとしては基本的な考え方も類似している、という点も大きい。けれど、わたしたちはこういうところが、どうにも反対にできているらしい。これも他人だから至極当然のことではあるが、そう思うほどに普段が類似している。ということにしておきたい。

彼女の話を聞いたとき、なんとなく理解できるところはあった。彼女も、わたしのそれに対してそう返してきた。けれど、たぶんお互いに相手の発言がなかったら、知らないまま生きていたところなんだと、そう思う。人生って不思議だ。

 

 

 

 

幸い、というか、なんというか。彼女は女性アイドルの最推しの枠は埋まってしまったから、次は男性アイドルだと、最近は某事務所のジュニアを検索しているとにこやかに言っていたし、わたしの最推しに関してはバリバリ活動中だ。毎週所属しているユニットのバラエティ動画が上がり、新曲も出、7月の末にはライブもやる。もちろん個人の配信もほぼ毎日ある。めちゃくちゃ元気だ。

けれど、たぶん。彼女がりんごを目で追う時間が増えた事実も、わたしの中でパステルが抜け落ちてる事実も、消えはしないし、癒えも今のところは、しないと思う。

それが、その子たちがあの世界に生きてた証になるならそれはそれで良いのかもしれない。

 

一つまみ、だいぶ多くなった気がするが。それもまあ、わたしの証になるのかもしれない。てことでね。

当日、さんざん彼女に通話口で伝え、ツイッターでも伝えたが、改めて誕生日おめでとうと、素敵な一年になりますように、とお祈りをしておこうと思う。

 

 

 

お祝いしてくれた人も、ありがとう。素敵な一年を、なにとぞ。